岡留安則 「『噂の眞相』25年戦記」




以前、 川端幹人さん著の「タブーの正体!」を読んだ時かなにかについでに購入したと思われる岡留さんの著書。


噂の真相の名前はちょくちょく聞いた事があるものの実際の雑誌を読んだことはないのだが、日本のジャーナリズム的には重要な雑誌だったようなので冬休みの一時を利用して本書を読んでみた。


まぁ色々書いてあったが、スキャンダリズムを武器に権力と戦うのは楽しそうだなってゆーことと、岡留さんのようにシラッととんでもないことをノー天気にやる感じは大事だなと思った。


菅谷明子さんのニーマンフェローについてのブログを読んだりしてMIT、Harvard界隈で始まっているジャーナリズムとテクノロジーの融合に興味を持った今日この頃。

バンクーバーについて


この夏、カナダのバンクーバーにしばらく滞在していた。
色々と感じることがあったので忘れないうちに書いておこうと思う。


バンクーバーはカナダの西海岸側のアメリカとの国境のすぐ近くに位置しており、気候や環境、文化などもアメリカの西海岸側と似ているところが多くある。特に、サンフランシスコやシアトルとはかなり共通点も多い。

バンクーバーと聞くと2010年の冬期に行われたバンクーバーオリンピックを思い浮かべる人も多いかもしれない。その影響もあって、かなり寒い場所だと思っている人が多いかもしれないが、夏は温暖で非常に過ごしやすいところである。冬もそこまで言うほど寒くはならず、気温としては東京の冬とそこまで大差なさそうな印象だ。ただ、夏以外はあまり天気が良くなく、雨の日が多いらしい。ちなみに、バンクーバーは2011年のEconomist誌のThe most livable city in the worldにも選ばれている。たしかに非常にlivableなところだった。


行く前はアメリカをもう少し優しくしたような感じかなぁと思っていた。アメリカの悪いところが多く目につくようになった今日この頃なので、もう少し優しそうなカナダの癒し具合には割と期待していた。結論を言うと、カナダ人には優しくて良い人がとても多い。他人に対しても困っていたら助けてあげようという気持ちが普通にあり、アメリカ人のような強欲さもない。バスや電車の中ではお年寄りに席を譲ってあげる人達の姿を良く見かけ、車いすの人が乗って来たときに居場所が確保されていないと声を出して注意するちょっとおせっかいそうなおじさんやおばさんがいたりもする。何となく昔の日本にもこういう風景があったのかなぁと思ったりもした。カナダの子供たちは人なつこくて、とてもかわいい子が多い。こうゆう子供たちが育つ環境というのは社会的に色々なことを示唆していると思う。誰か本格的に研究してる人の話を聞いてみたい。


他人にも優しくできるのは、社会に信頼や安心があるからだと思う。それは滞在中に接した都市の設計や社会の仕組みからも感じるところがあった。例えば、バンクーバー近辺は非常に交通の便が良い。市内とその近辺には、Skytrainというモノレールのような無人運転の電車と、同じくTranslink社が運営するバスネットワークが広がっている。つまり、独占的な運営形態なわけだが、料金は1ゾーンと呼ばれる区間は2.5ドルと高くない料金で移動できる。さらに島と島の間はシーバスという水上バスやフェリー、水上飛行機などで移動できる。車で移動している人達もたくさんいるのだが、車無しでも困らずに生活ができる。公共の交通機関を充実させることで、自家用車の必要性を低くしようとしてるらしい。また、シーバスの汽笛やカモメの鳴き声が醸し出す雰囲気は、人の心を優しくするのにかなり貢献していると思った。


ダウンタウン近辺にはレストランやバー、カフェなどなどが集まっている地域がいくつもある。中心のWaterfront駅の東側にはバンクーバー発祥の地であるGastown、その南にあるチャイナタウンを超えるとシャレた雰囲気のYaletownがあり、Yaletownから西に進むRobson street沿いにもたくさんのレストラン、バー、カフェなどがある。Waterfront駅とRobson streetを結ぶGranville streetはダウンタウンのメインストリートのようなところで、ナイトクラブなどがたくさんあって賑わっている。夜この辺りを歩くと、甘くて焦げ臭いような何かの匂いがあちこちでしていてバンクーバーに対する理解を深めるきっかけになったりもする。より理解を深めたい人はEast Hastingsに行ってみると良いだろう。ただし、昼間の明るいうちに通りがかるぐらいにしときましょう。

ダウンタウンの西側には高そうな高層マンションがならぶCoal Harborという地区があり、西端にはStanley park、南にはEnglish bayがある。English bayへ向かうDenman street沿いにもレストラン等々がたくさんある。頑張れば徒歩でも行ける範囲内にこれだけ色々あり、あちこちでしょっちゅうイベントをやっていたりもするのでのでなかなか退屈しない。

ダウンタウン以外にも近くにビーチや渓谷、ハイキングができる山など自然系のアトラクションが色々あり遊び放題なのだが、観光案内をしたいわけではないのでこれ以上そこに突っ込むのはやめておこう。ただ、Celebration of Lightという花火イベントのクオリティーはかなりスゴかったので触れないわけにはいかない。1週間に3回もあれだけ盛大な花火を打ち上げまくるイベントが世界を探しても他にあるのかは分からない。花火の技術もスゴく、ちょっと前に見たIndependence Dayの花火がショボく感じたぐらいだった。さすがにEnglish bay周辺はけっこーな人ごみなのだが、その価値はあったと思う。


また、興味のあったバンクーバーのスタートアップシーンについても色々と知ることができた。GrowLabHiVELaunch Academyといったインキュベータがあるようで、毎週どこかでイベントをやっていたりする。規模としては10人以下の小さな会社が多いようで、さっさと売っぱらうモデルでやっているところが多いようだった。ただ、カナダ政府も最近この辺りには力を入れているようで、就労ビザアメリカに比べるとだいぶ取るのが楽そうだった。ゲーム関係の会社がけっこうあるようで、日本からもGreeDeNAが最近オフィスを作ったようだ。ただ、全体としてはこれからという印象で、一つ大成功する会社が出てくると状況は大きく変わるだろうなという感じだった。その意味では、今この地域で勢いのある会社の人達と色々と交流できたのは良かったと思う。


滞在中に一番強く心に残ったのは、カナダの人々についてだった。季節的に旅行シーズンだったこともあり、他の州から旅行に来ている人達もけっこういたのだが、皆良い人達で、滞在中に嫌な気分になることがほとんどなかった。唯一苦労したのは入国のときの審査で、かなり入念に荷物などを検査された。どうやら最近日本の警察が、日本で強盗殺人事件を起こした中国人の犯人の関係者が偽造パスポートでカナダに入国した件でカナダ当局と色々やりとりをしている影響があったようだ。到着直後に予想外の災難にあったので好感度を下げつつあったものの、その後に出会った人達は十分に好感度を回復してくれた。

バンクーバーは港町ということもあり、世界中から多様な人種の人達が集まって来ている。歴史的な影響か、アメリカに比べるとイギリス系やフランス系を初めとするヨーロッパ系の人達が多いように感じた。また、ワーキングホリデーで来ているドイツ人やイタリア人、韓国人や日本人もたくさんいた。この人達はアメリカの大学に留学しに来ている人達とはだいぶ違う種類の人達で、新鮮に感じた。

また、バンクーバーにはインディアンの血を引く人達も多くいる。彼らは今まで自分があまり関わったことの無い類の人達だったが、独特の歴史観や近代西洋的ではない考え方は興味深く、共感できる部分も多くあった。


このような、そこにいかなければ会えなかった人達との関わりから得た経験が今回の滞在の一番の収穫だと思う。これらの経験がこれからどのように自分の中で消化されて活かされていくかはまだ確かには分からないが、ポジティブな影響があるのではないかと期待している。

"Steve Jobs" by Walter Isaacson



しばらく前に買ってちょろちょろ読んでいたSteve Jobsの伝記を読み終えた。別に衝撃の事実が書いてある訳ではなく、聞いたことがある出来事が色々と書いてある感じなので正直そんなに面白くはない。茂木健一郎さんがTwitter上でSteve Jobsの伝記を理由にWalter Isaacsonを絶賛していたのを見かけたが正直理解しがたい。


Steve Jobsを絶賛するのは理解できる。彼が残したメッセージは心に響くものが多い。すでに語り尽くされた感はあるがStanfordでのスピーチをもう一度載せておこう。



それからSteve Jobsによる"Here's to the Crazy Ones"のCMも載せておこう。



これらのメッセージは今でも強烈に自分の心に残っており、強く共感する。しかし、現在はこれらのJobs的なPrincipleに従っても成功できる世の中ではないのではないか。もちろん何を成功とするかにも依ると思うが、Jobsが讃えるCrazy Onesの居場所がほとんどない社会になっているように思う。それでもそういう生き方しかできないからCrazyなわけだが、Crazy Onesが成功できる日が来るとは自信を持って断言できない今日この頃である。


本書の中で最も読むべき部分は最後の方にある"And One More Thing..."というセクションではないかと思う。本書のほとんどはWalter IsaacsonがJobsの人生を綴った形になっているが(伝記というのはそういうものなのかもしれない)、このセクションにはJobsの言葉でのメッセージが3ページほど載せてある。長いので引用はしないが、この部分は本書の中で唯一と言っても良いぐらいの心に響く部分である。

小室直樹 「ソビエト帝国の崩壊」



1980年に書かれた古い本だが小室直樹の貴重な著書ということでプレミアのついた値段を払って購入した。


物心がついた頃には資本主義がほぼ支配する世の中になっており社会主義の国家に対するリアリティはあまりなかったので、社会主義国家における特権階級やエリートの存在は資本主義国家におけるそれらとの違いが新鮮で興味深かった。資本主義国家で暮らしていると資本の絶対的な支配力やそれが引き起こす不平等に嫌気がさすことが多いが、社会主義国家では異なる力が支配し、また違った不平等を生み出すというのも興味深い。このような実態を知ると資本があれば基本的に何でもできる社会というのは資本があっても何もできない社会よりは便利かなと思う。


本書に興味を持った理由の一つにソ連崩壊と現在の日本の衰退を対比し理解したいということがあった。ソ連の特権階級と日本の既得権者には共通点を感じるし、ソ連の軍隊と日本の官僚機構というのも酷似しているように見える。本書で解説されているようにソ連の崩壊がスターリン批判に発する急性アノミーに依るものだとすれば、日本において同様のことが起こるためには天皇の権威の失墜ということが必要になるだろう。そう考えると現在の平成天皇から現在の皇太子に移行するタイミングというのがかなり重要になってくる。日本社会の現状がさらに悪化した数年後に現在の天皇の体調悪化によってそのときが来るのではないかと思うが、革命を起こすならなこのタイミングを狙うのが良いのではないかと思う。ただ、それには新たな日本という国家像・共同体の姿を描く必要があり、単なる思いつきではどうにもならないかなとも思うので色々考え中。天皇以外に日本国家・共同体の中心となれるものは何があるかなぁ。

"Small Pieces Loosely Joined: A Unified Theory Of The Web" by David Weinberger



Joi ItoさんがStanfordでの講演などでwonderfulと言って絶賛していたので読んでみた。


ちょっと古い本なので今の感覚で読むとやや時差を感じるせいもあって一読しただけではwondrfulとは思わなかったが、何となく良い本なのかなという気はした。どうやらこれは単に一読しておしまいという本ではなくちゃんと本棚に置いておくべき本なようなので、とりあえず以前読んだTim Berners-LeeのWeaving the Webの横に置いておいてそのうちまた見直そうと思う。

Amazon アソシエイト・プログラムを始めた件


ひょんな思いつきからAmazon アソシエイト・プログラムを始めた。所謂アフィリエイトというやつである。かれこれ5年ほど不定期に気ままなことを書いてきたのに何を今さらという気もするのだが、何となくそんな気になったのである。というわけで過去のリンクを全てはてな経由のものから直接Amazonにリンクするようにした。そこそこ時間がかかってメンドくさかったが、自分が当時何を思っていたかを思い出すには良い機会だったのかもしれない。


通常このようなアフィリエイトプログラムを始める動機というのはブログの収益化ではないかと思う。自分の時間を費やして色々と書いているのだから多少は儲けたいとか、金銭的なモチベーションが多少は無いと費やせるエネルギーが限られてくると考えるのは理解できる。自分もそのような動機が無いかというと無いわけではないのだが、正直ブログによる収益というのには大して期待していない。お金を儲けたいならもっと効率的で良い方法が他にあるし、お金を儲けることを目的にブログを書き始めると内容が自然と歪んでしまうと思う。例えば読んだ本の感想を書くときに、大して面白くなかったとしても何とかブログの読者にクリックして購入してほしいという動機が働くので自然と好意的な内容を書くようになってしまうと思うし、実際多くのブロガーにそういった傾向が見られる。自分はそうはなりたくないと思うので収益のためにブログを書こうとは思わなかったし、これからも書こうとは思っていない。


では、何故アフィリエイトなるのもを今さら始めたのか。一番の目的は定量的な効果の測定だ。Amazonのアソシエイト・プログラムに直接リンクを張ることによっていつ何クリックありどれだけの購入があったのかという数字を知ることができる。はてな経由のリンクでもクリック数・購入数的なものは表示されるのだが、あれはおそらくはてぶ全体での数字ではないかと思う。つまりこのブログ経由のクリック及び購入なのかはてぶ内の他のブログ経由でのクリック及び購入なのかが分からないのである。購入があった場合にははてなポイントが付与された気もするので購入の場合は分かるのかもしれないが、クリック数に関しては分からないと思う。そういった統計情報を知りたい人は有料オプションでということなんだと思うが、別にはてなにお金を払ってまで知りたいとは思わないし、正直ブログを書くために自分の時間を使ってさらにお金まで払う程のモチベーションはない。というわけでAmazonに直接リンクを張ってクリック数及び購入数をタダで知りつつ購入があった場合は数%還元というぐらいが自分にはちょうど良いと思ったのだ。


このブログには基本的に実名を出していないし、誰かに読んでもらうための努力というのも全くと言って良いほどしていない。むしろポピュラーになることをなるべく避けつつ森の中に自分の木が一本ぐらいあってもバレないだろぐらいのつもりで書いている。別にバレても困るわけではないので隠す努力をしているわけではないのだが、特に何もなければ分からないようにしている。そのような状態で何の効果を測定しようというのかと疑問に思うかもしれないが、基本的にはマーケティング無しでのコンテンツの質・影響というのを測る材料にしようと思っている。つまり自然状態においてどの程度の人がこのブログを読みリンクをクリックし購入しているのかという数字を概算しようと思っている。それによって自分が正直に発しているメッセージというものが現代の日本社会(日本語で書いているので)にとってどの程度価値があるのかを知る手がかりにできればと思っている。


そんなことからアフィリエイトなるのもを始めてみたわけだが、その結果に依っては自分の手法をさらに加速させるもしくは改善するきっかけにしようと思っている。

川端幹人 「タブーの正体!」




少し前に読み終わった本だが、どのような感想を書くべきか色々と考えていて、もう一度読み返すなどしていたら遅くなってしまった。


本書ではメディアにおけるタブーがどのような仕組みでできるのかを暴力・権力・経済それぞれの恐怖という観点から描いている。メディアは公正かつ中立的に情報を伝えるものであるというタテマエが欺瞞であることにはすでに多くの人が気づいているのではないかと思うが、具体的にどのような背景によってそのような状況が引き起こされているのかというところまでをちゃんと理解している人はまだそれほど多くないのではないか思う。これを読むと何故メディアで語られないことがこれほどまでに存在するかということが良く分かる。メディアの問題をきちんと理解しておかないと世の中で起こっていることを正確に理解することはできない。日々メディアを通して入ってくる情報が伝達される仕組み、コントロールされる仕組みを知らずに騙されていると正しい判断をすることはできない。より多くの人が事実を知って現実を見つめてほしいと思う。


皇室・宗教・同和・ユダヤなどなど世の中には自由に語りづらいことがたくさんある。なぜ語りづらいかとかというと、多くの人が家庭や学校・職場等でそういうことにはあまり触れない方が良いよ、というような教育を受けてきたからではないかと思う。もちろん、皇室タブーの背後には右翼が、宗教タブーの背後には執拗な嫌がらせなどをするカルト集団が、などなどそれぞれの事柄について語りづらくさせている理由があるのも事実なのだが、本当にこれらのことについて語ってはいけないのだろうか。


自分には基本的にタブー視している事柄がない。友人などにはこれらの事柄についても積極的に自分の意見を言うようにしている。このブログにも一般的にはタブーだとされている事柄についてもかなり積極的に書いている。しかし、時々「ユダヤ」という単語を出しただけで陰謀論だと思ってしまう人もいる。世の中にはユダヤ教という宗教があってユダヤ人と呼ばれる集団が事実として存在し、歴史的にも現代社会においても大きな存在感を持っている。特にアメリカの経済社会と関わりを持つと、正直ユダヤ人という存在を無視することはできない。


では何故これらの存在に触れてはいけないのか。いや、触れてはいけないのではなく単に無難を追求して空気を読んでいるだけなんだと思う。陰謀論者のレッテルを張られるのが怖いだけなんだと思う。確かに世の中にはかなり胡散臭いユダヤ系の話などを真面目に信じてる人達もいる。ネット上はそういう情報で溢れているといっても間違いではない。そういう人達が何を目的にそのような情報を発信しているのかは正直良く分からないが、そのトピック自体をタブーにしてしまってはマズイのではないか。世の中には右から左まで色んな考えの人がいて中にはかなりの極論を言う人もいるわけだが、それを含めてタブー視せずに語れば良いじゃないか。勝手にみんながタブー視してるから語りづらくなってるんじゃないか。


正直、本書を読んでも希望は持てない。今後のメディア環境が改善するとはとても思えない。メディアは暴力と権力と経済の恐怖にほぼ完全に屈したと言っても良いだろう。そのような絶望的な状況を理解したときにどうすれば良いのか。諦めてみんなで空気を読みながら無難を追求するべきなのか。でもそんな社会に生きたいか?せっかく手に入れた言論の自由を放棄してしまっても良いのだろうか?


本書で提案されている唯一と言っても良い希望は、タブーは破るという戦い方ができるということである。本書には、タブーができあがる仕組みを明快に描きそれを破ることによって戦うという著者の決意が込められている。メディアが敗北したからといって自分たちまで敗北することはないんじゃないか。メディアでは語られない内容でも家族や友人たちとどんどん語れば良いじゃないか。そうやって自由に語れる場を自分たちの周りに増やしていけばもっと生きやすい社会ができると思う。そんな社会を作りたい人達には是非読んでほしい一冊だ。