川端幹人 「タブーの正体!」




少し前に読み終わった本だが、どのような感想を書くべきか色々と考えていて、もう一度読み返すなどしていたら遅くなってしまった。


本書ではメディアにおけるタブーがどのような仕組みでできるのかを暴力・権力・経済それぞれの恐怖という観点から描いている。メディアは公正かつ中立的に情報を伝えるものであるというタテマエが欺瞞であることにはすでに多くの人が気づいているのではないかと思うが、具体的にどのような背景によってそのような状況が引き起こされているのかというところまでをちゃんと理解している人はまだそれほど多くないのではないか思う。これを読むと何故メディアで語られないことがこれほどまでに存在するかということが良く分かる。メディアの問題をきちんと理解しておかないと世の中で起こっていることを正確に理解することはできない。日々メディアを通して入ってくる情報が伝達される仕組み、コントロールされる仕組みを知らずに騙されていると正しい判断をすることはできない。より多くの人が事実を知って現実を見つめてほしいと思う。


皇室・宗教・同和・ユダヤなどなど世の中には自由に語りづらいことがたくさんある。なぜ語りづらいかとかというと、多くの人が家庭や学校・職場等でそういうことにはあまり触れない方が良いよ、というような教育を受けてきたからではないかと思う。もちろん、皇室タブーの背後には右翼が、宗教タブーの背後には執拗な嫌がらせなどをするカルト集団が、などなどそれぞれの事柄について語りづらくさせている理由があるのも事実なのだが、本当にこれらのことについて語ってはいけないのだろうか。


自分には基本的にタブー視している事柄がない。友人などにはこれらの事柄についても積極的に自分の意見を言うようにしている。このブログにも一般的にはタブーだとされている事柄についてもかなり積極的に書いている。しかし、時々「ユダヤ」という単語を出しただけで陰謀論だと思ってしまう人もいる。世の中にはユダヤ教という宗教があってユダヤ人と呼ばれる集団が事実として存在し、歴史的にも現代社会においても大きな存在感を持っている。特にアメリカの経済社会と関わりを持つと、正直ユダヤ人という存在を無視することはできない。


では何故これらの存在に触れてはいけないのか。いや、触れてはいけないのではなく単に無難を追求して空気を読んでいるだけなんだと思う。陰謀論者のレッテルを張られるのが怖いだけなんだと思う。確かに世の中にはかなり胡散臭いユダヤ系の話などを真面目に信じてる人達もいる。ネット上はそういう情報で溢れているといっても間違いではない。そういう人達が何を目的にそのような情報を発信しているのかは正直良く分からないが、そのトピック自体をタブーにしてしまってはマズイのではないか。世の中には右から左まで色んな考えの人がいて中にはかなりの極論を言う人もいるわけだが、それを含めてタブー視せずに語れば良いじゃないか。勝手にみんながタブー視してるから語りづらくなってるんじゃないか。


正直、本書を読んでも希望は持てない。今後のメディア環境が改善するとはとても思えない。メディアは暴力と権力と経済の恐怖にほぼ完全に屈したと言っても良いだろう。そのような絶望的な状況を理解したときにどうすれば良いのか。諦めてみんなで空気を読みながら無難を追求するべきなのか。でもそんな社会に生きたいか?せっかく手に入れた言論の自由を放棄してしまっても良いのだろうか?


本書で提案されている唯一と言っても良い希望は、タブーは破るという戦い方ができるということである。本書には、タブーができあがる仕組みを明快に描きそれを破ることによって戦うという著者の決意が込められている。メディアが敗北したからといって自分たちまで敗北することはないんじゃないか。メディアでは語られない内容でも家族や友人たちとどんどん語れば良いじゃないか。そうやって自由に語れる場を自分たちの周りに増やしていけばもっと生きやすい社会ができると思う。そんな社会を作りたい人達には是非読んでほしい一冊だ。