猪瀬直樹 「昭和16年夏の敗戦」




日米開戦前に若手エリートを結集して創設された総力戦研究所の話。日本とアメリカの国力を分析し国家の意思決定に必要となる研究を行うために招集され、平均年齢33歳の模擬内閣を組織し開戦についての検討を行った。昭和16年の夏に模擬内閣が出した結論は以下のようなもの。

  • 12月中旬、奇襲作戦を敢行し成功しても緒戦の勝利は見込まれるが物量において劣勢の日本に勝機は無い
  • 戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え日本は敗れる
  • 日米開戦はなんとしても避けなければならない

つまり、昭和16年の夏には日本の敗戦はすでに予想されていた。
実際に東条内閣が検討した案は以下のようなもの。

  • 戦争すること無く臥薪嘗胆する
  • 直ちに開戦を決意し戦争により解決する
  • 戦争決意の下に作戦準備と外交を併行する

参謀本部(大本営陸軍部)は当然即時開戦を主張し、12月初頭という期日まで提起する。軍令部(大本営海軍部)は11月31日までならば外交交渉をやってもいいとの意思を表示する。ハワイ奇襲作戦を成功させるなら気象条件から12月中旬までというのが海軍の本音らしい。ちなみに開戦した場合に実際にアメリカとやるのは海軍なので陸軍は勝手なことを言っていたらしい。

この頃の日本の極秘電文はアメリカ政府にすべて解読されていて、日本の参戦は予期されていたようだ。この主張は「空気と戦争」に書かれていた、「機密保持を徹底した真珠湾攻撃アメリカは慌てふためいた。」という話と矛盾するが、こちらの方が正しいように思う。その後アメリカは所謂ハル・ノートを突きつけ、日本はアメリカの思惑通りに開戦へと駆り立てられる。