猪瀬直樹 「空気と戦争」




今のうちにもう一度歴史を勉強しておかければと思い猪瀬さんの著書を数冊買い集めて読み始めた一冊目。


まず、「はじめに」にいくつか気になることが書かれていた。

戦前から始まっていたアメリカナイゼーション
好景気をもたらす戦争を歓迎する国民
靖国神社遊就館の日米戦争はアメリカが不況から脱するために仕掛けたとの主張はウソ
機密保持を徹底した真珠湾攻撃アメリカは慌てふためいた

しばらく前から聞くようになったグローバリゼーション=アメリカナイゼーションだが、日本では戦前からアメリカブームでその頃からアメリカナイゼーションは始まっていたらしい。それから、解決しがたい内政の問題によって鬱憤が蓄積することが戦争を始める動機となることはよく言われるが、当時の日本もそうだったようだ。そういう意味では現在の日本は独裁者の出現により大幅に間違った方に舵を切る風土があることは十分に認識しておくべきだろう。猪瀬さんの主張によると、日米戦争はアメリカが不況から脱するために仕掛けたものという主張はウソらしい。また、真珠湾攻撃についても日本側の暗号はCIAに完全に解読されていて全て筒抜けだったらしいと思っていたが、猪瀬さんの主張は違うらしい。この辺りは最近翻訳されたルーズベルトの責任を読まないと良く分からない。



  • 戦争開始前の状況

当時の日本では人造石油の研究というのも行われていたらしいが、成果は芳しくなかったようだ。アメリカの石油の全面輸出許可制によって事実上の輸出禁止が行われ、国内に備蓄されている石油残量のみとなりジリ貧状態に突入。石油確保を目的に当時オランダの植民地下だったインドネシアへの進駐を検討する。その頃ドイツがソ連に侵攻する。北側が忙しくしているうちに、アメリカ領のフィリピン、イギリス領のマレーシアとシンガポール、中国、オランダ領のインドネシアというABCD包囲網を突き破り南進するという案が浮上。また、満州を諦めれば朝鮮と台湾は残る可能性もあるが、中国大陸で死んだ日本兵10万人(明治時代のから戦死者を加えた大雑把な数字)が犬死になるとの主張で、(宮台真司的に言うと)「今さら止められない」との結論へ。

緒戦は勝つがやがて国力、物量の差が明らかになり最終的にはソビエトの参戦という形で必ず負ける、よって日米は決して戦ってはならないとの結論を近衛内閣の閣僚の前で発表するも、東條陸軍大臣により机上の空論と一蹴され、日露戦争のような神風を理由に研究結果の発表を封鎖される。この辺りは昭和16年の敗戦に詳しいらしい。





  • 開戦から敗戦へ

総力戦研究所の敗戦間違い無しとの結論にも関わらず、御前会議にて日米開戦止むなしとの結論が出される。一つ意外だったのは、天皇は「君臨すれども統治せず」という話。戦前から象徴的な扱いがあったとは知らなかった。そのため御前会議では意見できず明治天皇の歌を詠んだらしい。

四方の海 皆同胞と思ふ世に
など波風の たち騒ぐらむ

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の発想でいちばん戦争をやりたがっている陸軍の急先鋒の東條を総理大臣にする。和平に傾斜したときに備え若手将校によるクーデターや右翼による要人暗殺を警戒し内務大臣も東條が兼務することに。しかし、都合の良い数字をでっち上げて推進する官僚の暴走を止められず、最終的には所謂ハル・ノートを突きつけられ開戦へ。天皇の意向にそえず東條は涙したらしい。

まずインドネシアスマトラ島にあるパレンバン油田を落下傘部隊が急襲し、油田は手に入れるものの輸送タンカーがアメリカの潜水艦の餌食になり結局石油を輸送することはできず。昭和19年7月サイパン島陥落の責任を取り東条内閣が倒れる。昭和20年3月10日サイパン島から飛び立ったB29爆撃機314機が東京大空襲。3月17日に硫黄島陥落。4月1日にアメリカ軍沖縄上陸を受け小磯内閣総辞職鈴木貫太郎海軍大将が内閣を引き継ぐ。5月29日、B29爆撃機475機とP51戦闘機約100機が横浜を空襲。8月15日敗戦。


戦前と戦後を貫く官僚主権と全てを決定し逆らうことを許さない「空気」という名の同調圧力によって物事が動いてくのは当時から何も変わっていない。