東浩紀 「一般意思2.0」





あずまんが最近出版した本ということで年末年始に読んでみた。


本書の内容を非常に雑に言うと、うまくいってる情報技術を使って空気を可視化してうまくいってない政治・行政システムに活用しようという話で、ぱらぱらとネット上の書評を見ると政治・行政システム側の人が書いたものには良質なものも見かけるが、情報技術側の人が書いたものの中にはかなり酷いものもあるようだ。まぁ、日本にいる優秀な情報技術者の数を考えればしょうがないのかなとも思うが、しっかりComputer Scienceを学んだ情報技術者の一人として多少なりとも貢献できればと思う。ただ、基本的に低俗な日本のネット言論空間とはあまり関わりたくないので控えめにしておこう。


まず興味深く感じたのは主に2章のp40〜p46辺りで書かれている一般意思の数学的な記述だ。書いてあることを軽く数学っぽく定義してみよう。

一般意思≠全体意思
全体意思=Σ個別意思i (where 個別意思i > 0 and 個別意思i is a scalar)
全体意思≈世論

一般意思は定義上常に正しく常に公共の利益に向かう
一般意思=Σ個別意思i (where 個別意思i is a vector)
人民i→特殊意思i (個別意思=特殊意思)
主権者→一般意思
(#人民 / #統治者) is expected to be = (#統治者 / #主権者)
#主権者 as 一般意思=1
Then, #統治者 =sqrt(#人民)

一般意思をこのように定義すると、技術的な実装で最も肝になるのは個別意思i を計算可能なベクトルとして抽出し既存のベクトル空間にマッピングする作業ではないかと思う。インプットが自然言語だとすると、賛成・反対のようにすでに定義された1次元空間であれば現在の技術でもある程度可能で似たような実装も見たことがある気がするが、これを完全に制約が無い空間で行うとなればけっこう頑張らないといけない気がする。利用可能なサービスとして設計するならば、ある程度アーキテクチャに組み込んでしまってとりあえず動かしてみるのがシリコンバレー的には良いのかなと思う。


というのが最初の方で感じたことだが、3章に書かれている一般意思についての記述を少し補足しておこう。

一般意思が適切に抽出されるためには、十分な情報を与えられた上で互いのコミュニケーションは取らない方が望ましい。
一般意思=差異の総和
一般意思は、ある一定数の人間がいればそこに常に平均が存在するように数学的に存在する。
スコット・ペイジの多様性予測原理:集団の多様性が高ければ高いほど集合知の精度は上がる。

コミュニケーションを取らずに十分な情報を与えるのは現実的になかなか難しい気がするが、どうもそうしないと適切に一般意思を抽出できないらしいので留意しておいた方が良いのかなと思う。また、一般意思というのは「差異の総和」であると書いてあったが、「差異の総和」という言葉から実際の計算後の一般意思をイメージするのはやや難しい気がする。むしろ、3次元空間で考えるとアンバランスな毬栗のようになるのではないかと思う。それから、集団の多様性が高ければ高いほど集合知の精度は上がるとのことだが、精度というより性能なのかなと思った。


その他前半に書かれていた内容で気になったのは

集合知の統計的利用
一般意思は様々な特殊意思の均衡点
無意識による体系化の可視化
日々の生活データの蓄積

というあたり。Google等がサービスをタダで提供しながらプライバシーも保護するという理念を維持できているのは、そうして集めた集合知を統計的に利用することによってマネタイズする仕組みを持っているから。この仕組みがうまく機能しなくなるとevilに走るようになる。Facebookが無茶をやっているのはまだこの辺りの仕組みが目標通りに機能していないからなのかなとも思う。それから、一般意思は様々な特殊意思の均衡点であるというのも興味深い記述で、要するに合意を形成するのではなくすでに定まっている均衡点を見つけるという話。ただ、その均衡点を見つける仕組みもオープンにしておかないとダメですよって言ってる。っていうか、そもそもこういうことするためには日々の生活データを蓄積しておかないとダメだよねってゆー話も。


これでだいたい前半終了。正直この辺までが一番面白かった。


中盤はルソーの一般意思1.0から一般意思2.0への話。まずキーとなる点をquoteしておこう。

一般意思=データベース(拡大解釈)
一般意思1.0(ルソーの一般意思)=個別意思の集合から超越者(天才、神々など)によって抽出
一般意思2.0(あずまんの一般意思)=データベースからアルゴリズムにより抽出
一般意思2.0へのアクセスをオープンにし誰もが集団内での位置を確認できるようにすることにより、自分自身にしか服従せず自由でいることができる
集合的無意識=一般意思


まずは、一般意思とはデータベースですよと21世紀的に拡大解釈するのが文系的にはクリエイティブで良いらしい。前半ではデータベースの中に数学的に定義として存在する均衡点ですよという話だったが、ここで意図的にその定義をひっくり返すわけだ。っで、ルソーの言う一般意思1.0とあずまんの言う一般意思2.0を定義し直す。どうやら一般意思2.0をうまく活用すると自分自身にしか服従せず自由でいることができるらしいのでなかなか魅力的な提案だと思う。まぁ、全員は無理だと思うがより多くの人がそうやって生きられる社会になれば良いと思う。


そしてこのあずまん流一般意思2.0というやつを政治・行政システムに活用しようという話になってくる。ここからは情報技術者としての興味は薄れてくるので段々に力を抜いていこう。要するに集合的無意識を一般意思として考え、集積された無意識の分析を意思決定に活かす仕組みを作りましょうという感じ。っで、どうすれば無意識の集積とか一般意思2.0とかを国家とか政府とかの運営にどうやって活かせるかみたいな問題提起して、一般意思2.0を可視化して熟議へリアルタイムでフィードバックし意思決定に反映すればいんじゃないかみたいな。

情報技術者的に興味を持った部分は、

現代の起業家やエンジニアが目指しているものを思想史の文脈に位置づける。
心の動揺を引き起こすアーキテクチャ、ランダムな線で結ばれたネットワーク。
情報環境による複雑性の縮減がコミュニケーションに他者性をもたらし、人々を私的利害の閉域から外部へと引き摺り出す。

という辺り。とりあえずバズワード程度の煽動ではいい加減心躍らなくなってきた今日この頃なので、起業家やエンジニアの活動をリアル思想家のあずまんが説得力を持たせてくれたのは嬉しい。それから、心の動揺を引き起こすアーキテクチャというのは最近で言うserendipityなのかなと思った。

コミュニケーションのグラフ論的分析も面白そうだなと思ったが、考えるのはまたにしてとりあえずメモだけしておこう。


その他のところを軽く纏めると、政治・行政の現場で意思決定してるやつらにもうちょっとプレッシャーかけないとマジメにやんないからマズイと思うんだけど、外側の人達も忙しくて大変だったりバカばっかだりしてまともなプレッシャーかけるのは難しいからその辺りを最近の情報技術使ってやれば割と回る仕組みができるんじゃねっていう話。その辺りをクリストファー・アレグザンダーとかを引用して説明してる。クリストファー・アレグザンダーのパターン論はソフトウェア設計論の基にもなってるから、とりあえず著書を載せておこう。(日本語は高いので英語で読むのがお勧め)




これでだいたい中盤終了かな。後半は大体纏めとか技術者的に興味の薄い内容が多かったのでがっさり飛ばして気に留まった部分だけメモしとこう。

ローティの主張によれば、人間は理性によっては連帯できないが創造力によってはできる。
蓄積された無意識データを解析し特定の発信者を抽出するシステム。

想像力による連帯というのは要するにStand Alone Complexだと思ったので良いなと思った。データから人を検索するシステムというのも面白そうで良いなと思った。


ということで無駄にがんばって書いてしまったが、楽しかったので良しとしよう。