山本七平 「日本人原論」




割と最近出版された山本七平の著書を何かのきっかけで買っておいたのを読み終えた。
色々と興味深いことが書かれていた印象だがまだ頭の中で纏まっていないのでとりあえずパラパラ読み返して気に留まったことを書いておこう。


とりあえず、宮台真司の「序に代えて」で岡倉天心が押されていたのでちらっと調べてみたらWikipediaで見つけた岡倉天心の逸話について。1903年に米国ボストン美術館からの招聘を受けて渡米した際に羽織・袴で一行が街の中を闊歩していたところ、若い米国人から冷やかし半分の声をかけられて↓のような会話をしたらしい。

"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"

面白いのでそのうち使ってみようと思うが、自分がアメリカ人との会話をするときの態度と似てるなぁと思った。


日本人は自分たちの行動原理に無自覚というのも重要な指摘だと思う。これは歴史的な背景などから社会の中のあらゆるところにタブーがあって、日常会話や教育環境・職場の中で語られないため多くの人が色々な本質を知らないまま暮らしていることが一つの大きな原因ではないか。

KYという言葉に象徴されるように、触れてはいけないことに触れてしまうと村八分にされてしまうというような社会の環境が原因の一旦だろう。最近は「敢えて空気読まない」(AKY)という動きもあるようなので期待したいがまぁ大した変化はないだろうな。


相手の思考論理の前提を意識のレベルに上らせてひっくり返す松下幸之助の説得術という話も面白かった。自分もこういうことやってるなぁと思ったが、これはおそらく苫米地さんの洗脳言論とかで書かれていた内容の実践編みたいなことなのかなと思う。


権威のある人間を神格化してしまう日本人のメンタリティーについての話も思い当たる節があり興味深かった。最近話題の某IT企業のCTOが神とか呼ばれてる現象はモロにこれだなと思った。そうやって自分以外の権威を神格化したがるのは自分の弱い部分を誤摩化すためなのかなぁとも思っている。そういう神格化された人間を論破してその人間の社会的ステータスを地に落としてしまうと村八分にされてしまう日本社会の現状で自分が生きて行くのはちょっとムリかなと思っている今日この頃。


北条泰時についてもけっこう押し気味で書いてあった。北条泰時については正直よく知らないので評価しようがないが、とりあえずWikipediaの北条泰時にリンクしておこう。

現代では「あらゆる天変地異に対処できる指導者」が求められているようだが、日本の現状を見ると絶望的だなと思う。どーせまたそのうち橋下徹あたりを持ち上げて祭り上げるのが限界だろうな。


タテマエとホンネについても触れてあったが、ホンネを言えずタテマエの上に成り立っている社会に言論の自由があるのかは大いに疑問。


もう少し詳しく読み返せば色々見つかりそうだがとりあえずこのあたりにしておこう。


Wikipediaの日本語URLにうまくリンクできないバグがあるっぽいが、はてなにレポートして直してもらうほどのモチベーションは無いし自分が悪いわけじゃないから放っておこう。